「もう安全なはずなのに」不安が消えない理由。ブラック企業を辞めて6年、今も続く”落とし穴を探す”思考。

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先日、夫のスマホにギャンブルサイトのアクセス制限をかけました。

入金上限の設定も、iPhoneのスクリーンタイムの制限も、全部本人の目の前で一緒に確認して、パスコードも私が設定した。やることは全部やった、はず。
なのに、翌日、翌々日、何度も「本当に大丈夫か?」と心配に…。
確かに確認しました。ちゃんとオンになってたっけ。本当に制限かかってる?見落としはなかった?

事実はもう確認済みです。でも頭が納得してくれない。

これ、初めての感覚じゃないんですよね。


6年前も、同じだった

6年前、ブラック企業を辞めました。

モラハラやパワハラが横行する環境で数年働いて、ようやく抜け出せた。
もう怒鳴られることも、理不尽に詰められることも、ない。安全なはずでした。

なのにしばらくの間、「何か起きるんじゃないか」「こんなに何も起きないはずがない」「身構えとかないと、次の瞬間には落ちるかもしれない」という感覚が抜けなかったんですよね。
職場を変えても、環境が変わっても、ふとした瞬間に身構えてしまう。誰かの言葉の裏を読もうとしてしまう。もう攻撃されないのに、攻撃フラグを探し続けてしまう。

一回体験したトラウマや心のダメージってそう簡単に消えないし、日常に残り続けるんだなあとそのとき初めて思い知りました。


なぜこの思考パターンが起きるのか

強いストレスやトラウマ的な経験の後、脳は「警戒を解くのが苦手になる」という仕組みがあるようです。
本来は身を守るための正常な反応です。
危険な環境にいたとき、常に警戒していたからこそ乗り越えられた。
その経験が脳に「油断するな」と刻み込む。

問題は、環境が変わっても脳のその設定がなかなか更新されないことです。
安全になったよ、という情報より、もしかしたら危ないかも、という可能性の方を優先して処理し続けてしまう。これが長期化すると、日常生活の質をじわじわ下げていく。

私のここ何年かがまさにそれでした。対策は済んでいる。事実として確認している。それでも不安で、何度も確認せずにいられなかったし、常に何かに怯えていた。


今、向き合っていること

今回、夫のギャンブル依存の問題をきっかけに、また同じパターンが強く出てきました。

疑いたくないのに疑ってしまう。確認済みなのに不安になる。自分でもおかしいとわかっているのに止められない。

そこで手に取ったのが、認知行動療法の本です。

こちらの本を読んでみて、少し楽になりました。
この思考とは長年の付き合いだったので、自分の中でもこういうことなんだろうなと漠然と分かってはいたのですが、「これは事実じゃなく、思考の癖だ」と正しく言語化されて認識できるようになったからだと思います。
「入門」と書かれているだけあって、かなりわかりやすかったです。

今私がやっているのは、「事実を確認する」→「それでも不安になる」→「これは認知の歪みだと自覚する」という3ステップのプロセスです。
これが分かっていても簡単に不安が消えるわけじゃないですが、「また癖が出てる」と気づけると、少しだけ冷静に戻れる。

完璧にはできていないし、何度も確認してしまう日もある。でも以前は「自分がおかしい」で終わっていたのが、「思考の癖が出ている」に変換できるようになってきた。それだけで、だいぶ違います。


おわりに

これは夫の問題がきっかけでしたが、向き合っているのは自分自身の長年のテーマでもあると気づきました。

ブラック企業で刻み込まれた「油断するな」という設定を、少しずつ書き換えていく作業。夫の回復と並走しながら、私自身も回復している途中なんだと思います。

まだ途中です。でも、そういうことだったのかと気づけただけで、少し前に進めた気がしています。

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