作業中にAIのクレジット上限に到達した。 上限解放は2時間後。
つい1年前までAIなんてほぼ使っていなかったはずなのに、気づけば「あ、2時間後まで何もできない。」と思ってしまっていてハッとした。 1年前まではこんな便利なものが身近になく、何をするにも自分でやっていたのに。
「AIがないと何もできない自分」になりかけていて、焦りを覚えた。 たまにはAIなしで自分で作業をしてみよう。
実際、AIなしで作業してみると、その工程があるからこその気づきがあったりもする。 AIはなんでもやってくれるから、データをポンッと投げれば即座に動いてくれるから、泥臭くて地味な作業が自分の手元に残らなかったりする。 もちろん時間に追われながらやる仕事のことを考えると、ありがたいことこの上ない。
でもこういうとき私は思い出す。「私が本来好きなのって、泥臭くて地味な作業の方だったんだよなぁ」と。 伊達にパワーウォッシュやパズルを嗜んでいない。そう……泥臭くて地味な作業が大好きなんです。
でも今後も、そういう作業はどんどんAIが代わりに行うようになるだろうし、我々はずっと「AIをどう使うか、何をするか」と必死に頭を動かし続けなければいけないんだろうな。
データをまとめるのだって、どうやってまとめようかな、こうしてみようかなと試行錯誤してみる時間が結構好きだったりした。うまくハマったら気持ちいいし。 でもAIがあるとそういう工程はすっ飛ばされて、結果だけお出しされる。なんなら、自分でやろうとしていたら「AI使いなよ(時間を無駄にしているよ)」なんてことも言われそうな時代。
いや、便利だけど、ありがたいんだけど……。
休む暇もなく、すぐにその結果・分析を見て判断を下さないといけない時間がやってくる。時には判断すらAIがしているかもしれませんね。
文章を書くのだって、自分で書いているときは、少しの言い回しやニュアンスにこだわって何回も読み直して仕上げるのが好きだったりした。自分にとって心地いいリズムの文章になるように。 でも今や雑に書き散らかしたメモを見せるだけで、しっかりとした文章に仕上げてくれる。
いや、早いけど、助かるんだけど……。
そこに書かれている感情や記録は自分から出たはずのものなのに、一字一句自分の手で入力された文章じゃないというだけで、まったく別物に見えたりする。
今はちょうどAIの進化がすさまじく、日常に入り込んできつつあるフェーズだからこそ、こういう葛藤を抱えていたりするけれど、あと数年もすればみんな「AIが書く文章」が当たり前になっているのだろうか。 画像生成だって今は物議を醸しているけど、あと何年かすればみんな慣れて、AIじゃない写真やイラスト、画像の方がレアになったりするのだろうか。 CMに出ている有名人や、アナウンサー、ナレーションなんかもAIに置き換わるのだろうか。 今すぐではないにせよ(今すぐなのかもしれないけれど)、私たちが生きている間にそういう時代になるんだろうなぁ。なんてことも思ったり。
冷静に考えれば、すごく面白い時代を生きているなぁと思います。 もちろん自分の職種が職種なだけに不安も大きいのですが、90年代前半生まれの身としては、デジタルの進化を幼少期から見続けているわけで。のほほんと暮らしていた私としては、5年前にはここまでAIが進化しているとは思ってもいなかったし。
あと5年もすれば、また想像もついていないような世界になっているんだろうなぁ。
……なんて。
AIのクレジット切れでフワンと突然浮上した空き時間、ここ最近の怒涛のAI情勢を思い出しながらそんなことを考えていたわけですが、現実的問題として今後の自分の職種が心配なので、引き続きAIのお勉強を頑張ろうと思います。
AIの恩恵はしっかり受けつつも、人間らしさみたいなのはなくさずに暮らしていきたいなぁと改めて思った今日でした。

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