10代から20代前半にかけての私は、インターネットにどっぷりでした。
絵を描くのが好きで、イラスト投稿サイトに作品をアップし、SNSで交流し、自分の「好き」や脳内のパッションを熱量高く叫び続ける、元気なオタクでした。
しかし、20代半ばを過ぎた頃、私はそれらのアカウントを一斉に削除し、騒がしいタイムラインから静かに離脱しました。
今では、仕事での情報収集やたまの息抜きを除けば、個人としてのSNS交流からは完全に一線を画しています。今後もあの頃に戻るつもりはありません。
かつてあれほどネットの海に依存していた私が、なぜSNSを一斉にやめたのか。その理由と、やめた先に見つけた30代の平穏について書き残しておきます。
交流疲れと、すべての反応に対する疲弊
やめた最大のきっかけは、一言で言えば「交流疲れ」でした。
SNSにおける創作活動の世界は、良くも悪くも人と人との心理的距離が非常に近いです。
贅沢な悩みではあるのですが、自分の作品を好きだと言ってくれる相手から生みだされるものに対して「心の底から共感ができない」という葛藤に直面することが増えていきました。
本当にありがたかったし、お相手自身のことは好きでも、仲良くなるにつれて意図的に「話を合わしている自分」がどんどん浮彫になっていったのです。
特に、界隈にいる人間がある程度固定化されていると、必然的にグループのような、悪く言えば村社会のような状態になっていきます。
その中で馴染めないと、「自分が作りたいものを作る」という純粋な行為すらやりにくくなっていくんですよね。
狭いコミュニティの中で、お互いの「解釈」や価値観の小さなズレを感じるたび、何もトラブルを起こしていないにもかかわらず、どこか居心地の悪さや後ろめたさを抱えてしまう。
作品は好きなのに、界隈になじめない。
コレ、あるあるなんじゃないでしょうか。
もちろん、「界隈のこの空気や風潮、合わないなぁ」と思うということは「自分のこの表現も、誰かにとってはノイズなのかもしれない」ともなってくるわけです。
悪い意味で人の目を気にしすぎる私のような人間は、それが加速して創作物をアップするという行為すら怖くなってしまいました。
無難な「どうとでも受け取れるような1枚」を描くことが増え、個性というものが潰れていった気がしました。
SNS特有の「あらゆる人の感情や解釈がダイレクトに飛び込んでくるシステム」の中で、私はいつの間にか、他人の視線を先回りして気にするようになっていました。
相手の反応を気にして筆を鈍らせるくらいなら、もうすぐそこに反応が返ってくる媒体からは離れよう。
良くも悪くも、ネット上の「すべての反応」に対して頭の容量を使うことが、しんどくなってしまったのです。
アカウントを消した解放感と、引き換えに手放した「クオリティへの呪縛」
アカウントを一斉に消した瞬間、得られたのは圧倒的な「解放感」でした。
それまでは「この表現はあの人が苦手かもしれない」「これは解釈違いだと思われるかも」という見えない架空の敵と脳内で会話していましたが、それらを気にする必要が一切なくなりました。ただただ、自分が描きたいものを、誰の目も気にせずフラットに描ける自由が戻ってきたのです。
一方で、面白い側面もありました。
「誰かに見られている、評価されている」という刺激がなくなったことで、創作意欲そのものが適度に落ち着き、「評価のためにクオリティを上げなきゃ」という完璧主義の呪縛からも解放されていったのです。モチベーションの総量や、総合的に見てクオリティは下がったかもしれませんし、それでいいのか?と思う部分もありましたが、それは自分にとっては良いことでした。
何度もアカウントを作っては消してを繰り返していた私ですが、最後の時は「またやりたくなったら作ればいいや」と、軽い気持ちでポチッと消せました。
今でも、当時SNSで出会って実際に会うまでに至った「本当に大切な縁」だけは、数年間動かしていない鍵垢という形で、お守りのようにそっと残してあります。
(その友人たちには、本当に感謝しています)
SNSをやめてから、脳内が静かになった
今でも、X(旧Twitter)のおすすめタブやYouTubeショートといった、次々と流れてくる系のコンテンツを、情報収集のついでに覗いてしまうことはあります。最新の技術動向や世間の流行りを追うのは、仕事上も必要だからです。(あとはストレス過多の時に見てしまう息抜き)
けれど、日常的に自分もタイムラインで呟き、誰かと交流することからは完全に離れました。それだけで、脳内の騒がしさは劇的に改善されました。
「あの頃の、純粋に楽しかったTwitterに戻ってほしいな」とノスタルジーを感じる瞬間が、全くないわけではありません。
けれど、その「不便さ」や脳内のモヤモヤをSNSに吐き出す代わりに、自分でショートカットツールを作ってスプレッドシートに感情を転記し、自己分析する……といった仕組み作りという新たな趣味に昇華できるようになりました。
SNSを諦め、やめたからこそ、新しい自分なりの工夫を発見するきっかけが生まれたのだと、今の選択にとても満足しています。
10代のように叫ばない、30代の静かな記録
10代の頃のように、思ったことをなんでも叫べるインターネットは、今の私には少し刺激が強すぎました。
SNSからそっと離れた30代の私が、いま辿り着いたのが、この誰の視線もいいねの数も気にしなくていい、自分だけのブログです。
タイムラインの荒波に疲れてしまった同世代の元オタクの方が、もしどこかでこの記事を読んでいたら。アカウントを消して静かになった部屋は、思った以上に居心地が良いものですよ、とそっと伝えたいです。

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